先日数人と話していて、「思想強いね」っていうワードが飛び出しました。
それそのものは会話の流れとして違和感なく流れていったのですが・・・
「思想強い」ってなんじゃらほい?
と後々思ったのでちょっと真面目に考えてみました。
「意図」と「言葉」のギャップ
「ちょっと難しいですね~」
翻訳小噺でよく言われているこのフレーズ。
「It’s difficult.」と通訳されると、
「難易度高いけどできるよ!」てな意味合いになったりします。
言いたいことは「It’s impossible」ですよね。
こんな感じで日本語では『意図と言葉にギャップがある』てのは珍しくないです。
ほな『思想が強い』が意図するところは??
『自分の価値観と異なった考えに直面する』くらいのもんかなぁ、て感じです。
言葉どおりの状況を考えてみる
例えば
『世界平和を強烈に願ってそれを他人に熱心に伝える』
てのはいわゆる『思想が強い』のでしょうか?
たぶんそうは言わないですよね。
なので『思想が強い』ってのは直接表現じゃなくて『比喩表現』なんだと思います。
ほな「思想」ってなに??
で、この場合の思想って???
『世の中の標準から外れた考え』ってのはどうでしょうか?
でも世の中の標準、というのは時代や場所によって異なります。
戦国時代の英雄は現代だと犯罪者、みたいなもんです。
感情を素直に表現することが美徳の国もあれば、隠すのが美徳の国もありますよね。
かなり不定なものなので『世の中の標準』とするのはできないっぽいです。
『世の中の標準と思っているもの』、ならどうでしょう?
現在において、自分が生きている場所において、文化として当たり前に感じているもの。
つまり『自分の価値観』です。
ここから大きく外れた意見に直面したとき、自分とは違う異質なものに出会ったとき、
『自分の価値観とは異なるな~』な状況のときに『思想』ってものを感じることが多いような気がします。
なので『思想が強い』ってのは『自分の価値観と異なった考えに直面する』という状況を表現する比喩なんじゃないかなぁ~、てのが自分の結論です。
良し悪しとはまた別のはなし
『思想が強い』と聞くと「悪い考えをもつこと」のように感じるかもしれないですが、そもそも自分の価値観って良いものなの??
価値観の良し悪しは時代・場所によって、つまり文化によって変わるのでその時々で違うんじゃないかなぁ~と思います。
自分の価値観と異なる意見と明言される、ことは自分や周囲を否定されているわけじゃないので気楽に構えたいものです。
ほな、また!
コメント